関ジャニ脱退の真相と理由|渋谷・錦戸・内の現在と改名後の軌跡
関西発の個性派グループとして国民的人気を確立し、現在はSUPER EIGHTとして新たなステージを突き進む彼ら。しかし、その華々しい栄光の裏には、結成当初の8人から5人へと体制を変えてきた「メンバー脱退」という過酷な試練の歴史が刻まれています。
メインボーカルとしてグループの魂を担った渋谷すばる、ドラマや映画でフロントマンとして牽引した錦戸亮、そして黎明期を支えた内博貴。彼らはなぜグループを去り、どのような道を歩んできたのか。脱退の決定的経緯や噂された不仲説の真偽、そして現在の彼らの活躍まで、徹底取材をもとにその全貌を解き明かします。
📌 【この記事の重要ポイントまとめ】
- 要点1:内博貴(2005年)、渋谷すばる(2018年)、錦戸亮(2019年)の3名がそれぞれ明確な自己の表現・キャリアの岐路においてグループを離脱
- 要点2:不仲による分裂ではなく、30代を迎えた各メンバーの「音楽性・人生観の追求」と「全員で前を向くための苦渋の決断」が真相
- 要点3:SUPER EIGHTとして絆を深める現役メンバーと、ソロアーティスト・俳優として確固たる地位を築いた脱退組は、現在も互いにリスペクトし合う関係
【メンバー変遷年表】関ジャニ∞が歩んだ8人時代からSUPER EIGHTへの歴史
2002年の結成から現在に至るまで、グループの歩みは波乱万丈そのものでした。まずは、グループが辿ってきたメンバー構成の変遷を時系列で整理します。
【関ジャニ∞ / SUPER EIGHT メンバー変遷年表】
- 2002年12月:関西ジャニーズJr.の選抜メンバー8名で結成(横山裕、村上信五、渋谷すばる、錦戸亮、安田章大、丸山隆平、大倉忠義、内博貴)。
- 2004年8月:シングル『浪花いろは節』で関西先行デビュー(同年9月に全国デビュー)。
- 2005年7月:内博貴が活動休止(実質的な脱退)。以降、7人体制でバンドスタイルやバラエティなど多才な活動を展開。
- 2018年4月:渋谷すばるが記者会見で脱退・退所を発表。同年7月をもってグループを脱退、12月末で事務所を退所。
- 2019年9月:錦戸亮がグループ脱退および事務所退所を発表。全国ツアー終了をもって離脱し、5人体制へ移行。
- 2024年2月:所属事務所の体制刷新に伴い、グループ名を「関ジャニ∞」から「SUPER EIGHT」へ改名。
8人時代から始まった旅路は、幾度もの転換点を経て強固な結束力を生み出し、現在の揺るぎないポジションへと昇華されていきました。
【脱退理由の真相】渋谷すばる・錦戸亮・内博貴はなぜグループを去ったのか
ファンのみならず世間に大きな衝撃を与えた歴代メンバーの脱退。3人が選んだそれぞれの決断には、当時の年齢や置かれた立場、エンターテインメントへの向き合い方が色濃く反映されていました。
① 内博貴:若さゆえの過ちと、別々の道を歩む決断(2005年)
デビュー直後、グループの美形ツートップの一角として絶大な人気を誇っていた内博貴。NEWSとの兼任で多忙を極めるなか、2005年に未成年飲酒騒動を起こし無期限の活動休止処分を受けました。その後、研修生からの再起を経てソロ舞台を中心に復帰を果たしますが、グループのスケジュールや方向性の観点から復帰は叶わず、事実上の脱退となりました。
② 渋谷すばる:グループの看板ボーカルが選んだ「音楽への純粋な探求」(2018年)
関ジャニ∞の音楽的支柱だった渋谷すばるの脱退理由は、「海外で音楽を学び、自分の音楽を追求したい」という強烈な表現者としての本能でした。35歳を過ぎ、残りの人生でどこまで一人のミュージシャンとして勝負できるのか。メンバーと何度も膝を突き合わせて話し合った末の決断であり、全員が同席した異例の記者会見は、その決意の固さとメンバー間の深い信頼を物語っていました。
③ 錦戸亮:30代半ばの覚悟と「全員が納得した上での独立」(2019年)
俳優としてもグループの顔として多大な貢献をしてきた錦戸亮。渋谷の脱退後、グループの今後について議論を重ねるなかで、「自分自身の力でゼロから表現活動を行いたい」という思いが強くなりました。決して投げ出したわけではなく、グループの15周年ツアー『十五祭』を完走するまで全力を注ぎ、けじめをつけての旅立ちとなりました。
ネットで囁かれた「不仲説」の真偽|メンバー間の確執は実在したのか?
主要メンバーの連続脱退に際し、一部週刊誌やネット上では「メンバー間の衝突」「確執による空中分解」といった不仲説が取り沙汰されました。しかし、関係者の証言やその後の言動を検証すると、不仲説の多くは憶測に過ぎないことが分かります。
関西Jr.時代からの苦楽を共にしてきた彼らは、本音でぶつかり合える家族のような間柄でした。当然、グループの音楽性や活動方針を巡って激しい議論が交わされることは日常茶飯事でしたが、それは作品やファンに対する真摯さの裏返しです。
渋谷の脱退会見に安田章大(当時骨折療養中)を除く全員が同席し、涙を流しながらも背中を押した姿や、錦戸が退所後も関ジャニ∞時代の経験に感謝を口にし続けている事実こそが、不仲説を真っ向から否定する決定的な証拠と言えます。
なぜグループ名を変更?「SUPER EIGHT」改名の舞台裏と新体制の覚悟
2024年2月、20年間親しまれた「関ジャニ∞」という看板を降ろし、グループは「SUPER EIGHT」として再出発を切りました。
事務所の名称変更に伴い、ファンとともに歩んできた歴史ある名前を変えざるを得ない状況に直面したメンバーたち。彼らが最もこだわったのは、グループの原点である「エイト(8)」の数字とアイデンティティを残すことでした。
「自分たちがどれだけパワーアップしても、ファンの存在(エイター)は変わらない」「過去の8人時代も7人時代も含めて背負い、さらに進化する」という決意が、「SUPER」という冠に込められています。改名後もバラエティ、スタジアムライブ、ロックフェス出演と精力的に活動を展開し、5人の結束はかつてないほど強固なものとなっています。
【脱退組の現在地】渋谷すばる・錦戸亮・内博貴の退所後活動と最新動向
グループを離れた3人もまた、それぞれのフィールドで独自の存在感を放っています。独立後の彼らの現在地を追いました。
◆ 渋谷すばる:国内外のフェスを席巻する孤高のロックシンガー
退所後は自主レーベルを立ち上げ、ソロアーティストとして再始動。圧倒的な歌唱力と飾らない人間性を武器に、ライブハウスツアーや大型野外フェスへの出演を重ねています。自分の言葉とメロディでファンと対峙する姿は、まさに彼が求めていた音楽そのものです。
◆ 錦戸亮:独立レーベル成功の先駆者&実力派俳優としての再評価
自身のレーベル「NOMAD RECORDS」を拠点に、楽曲制作からプロデュースまでセルフプロデュースを完遂。さらに、近年は地上波ドラマや映画への出演も本格的に再開し、日本アカデミー賞受賞歴に恥じない重厚な演技力で俳優としても高い評価を獲得しています。
◆ 内博貴:ミュージカル・ストレートプレイを支える舞台俳優
事務所に残りながら、舞台やミュージカルを中心にキャリアを積み上げてきました。確かな歌唱力と舞台映えする容姿を活かし、演劇界で欠かせない実力派キャストとして息の長い活躍を続けています。
【関ジャニメンバー脱退】に関するよくある質問(FAQ)
Q1:グループ結成当初のメンバーカラーはどうなっていましたか?
A1:結成当初の8名体制時のメンバーカラーは、横山裕(黒)、村上信五(紫)、渋谷すばる(赤)、錦戸亮(黄)、安田章大(青)、丸山隆平(橙)、大倉忠義(緑)、内博貴(ピンク)でした。脱退したメンバーのカラーも、グループの歴史としてファンの胸に刻まれています。
Q2:脱退したメンバーと現在のSUPER EIGHTメンバーの共演はありますか?
A2:公式な音楽番組やテレビ番組での直接共演は実現していませんが、プライベートでの連絡や互いのライブ・舞台を気に掛ける様子は度々語られています。近年はエンタメ業界全体の垣根が低くなっており、今後のフェスやイベントでの偶発的な再会にファンの期待が集まっています。
Q3:5人体制になってからのSUPER EIGHTのバンド演奏はどう変わった?
A3:メインボーカルだった渋谷・錦戸のパートを、安田章大を中心に丸山隆平、大倉忠義、村上信五、横山裕の全員で分担。横山のギター挑戦など各人がスキルアップを図り、より厚みと温かみのあるバンドサウンドへと進化を遂げました。
まとめ:形を変えて輝き続ける5人と3人のこれから
8人から始まった物語は、メンバーの脱退という痛みを伴いながらも、それぞれが己の信念を貫くことで新たな輝きを放つ結果となりました。
5人で歴史を守り、攻めの姿勢を崩さないSUPER EIGHTと、自らの足で新たな表現を切り拓いた渋谷すばる・錦戸亮・内博貴。道は分かれども、互いが残した功績とリスペクトは色褪せることはありません。これからも形を変えて進化し続ける彼らの挑戦から、目が離せません。 (出典: 関 ジャニ メンバー 脱退(Yahoo!ニュース))