陸奥部屋はなぜ閉鎖したのか?霧島らの移籍先と名門再興の可能性

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陸奥部屋はなぜ閉鎖したのか?霧島らの移籍先と名門再興の可能性
陸奥部屋はなぜ閉鎖したのか?霧島らの移籍先と名門再興の可能性
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🎵 陸奥部屋はなぜ閉鎖したのか?霧島らの移籍先と名門再興の可能性

大相撲の歴史において数々の名力士を輩出し、昭和から平成、令和へとファンを魅了し続けてきた名門・陸奥部屋(みちのくべや)。2024年春に突如として報じられた部屋の閉鎖と所属力士たちの移籍劇は、大相撲界のみならず多くの好角家に大きな衝撃を与えました。

師匠を務めた元大関・霧島の定年という節目を機に、看板力士であった大関・霧島をはじめとする弟子たちはそれぞれ新たな拠点を求めて旅立ちました。伝統ある部屋がなぜ後継者を立てずに解散を選んだのか、所属していた力士や親方たちの現在の姿、そして墨田区に残された部屋跡地の今に至るまで、徹底取材をもとにその真相を紐解きます。

📌 【この記事の重要ポイントまとめ】
  • 要点1:陸奥部屋は師匠である9代陸奥親方(元大関・霧島)の65歳定年に伴い、後継者不在のまま2024年4月に正式閉鎖・解散された。
  • 要点2:看板力士の大関・霧島らは元横綱・鶴竜が興した音羽山部屋へ、浦風親方らは荒汐部屋へと分散移籍し、現在も角界で奮闘を続けている。
  • 要点3:部屋の建物跡地は静けさを保つ一方、年寄名跡「陸奥」の継承と将来的な部屋再興の可能性に大きな注目が集まっている。

【閉鎖の全容】陸奥部屋はいつ・なぜ解散したのか?師匠の定年と決断

大相撲ファンに大きな衝撃が走ったのは、2024年3月場所後のことでした。日本相撲協会は理事会において、伝統ある陸奥部屋の閉鎖を正式に承認。2024年4月2日付で部屋の歴史に幕を下ろす運びとなりました。

この閉鎖に至った最大の理由は、師匠である9代陸奥親方(元大関・霧島一博)が2024年4月3日に65歳の日本相撲協会定年を迎えたことにあります。大相撲の規定では、部屋の師匠が停年を迎える際、後継者となる年寄(親方)が部屋を継承しない場合、その部屋は存続できず解散・閉鎖の手続きを取らなければなりません。

当時、陸奥部屋にはかつて所属していた第71代横綱・鶴竜(音羽山親方)や、部屋付きの浦風親方(元幕内・敷島)、立田山親方(元幕内・薩洲洋)が在籍していました。しかし、諸条件やタイミングの兼ね合いから部屋の直系継承には至らず、一門内での弟子や裏方の引き受け先を確保した上で、師匠の定年と同時に部屋を畳む苦渋の決断が下されたのです。

【移籍先一覧】大関・霧島や鶴竜親方はどこへ?所属力士・裏方の現在

部屋の解散に伴い、最も注目されたのが所属力士や裏方たちの分散移籍先でした。陸奥部屋に所属していた力士8名をはじめ、親方衆、呼出、床山、行司らは、時津風一門内の部屋へと分かれて所属先を変更しています。

最大の注目株であった大関・霧島(当時は大関、元関脇・霧馬山)の移籍先となったのは、陸奥部屋の部屋付きから一足早く独立していた元横綱・鶴竜が率いる「音羽山部屋」でした。師匠の定年直前である2023年12月に立ち上げられたばかりの音羽山部屋にとって、大関経験者である霧島の合流は大きな戦力強化となりました。

陸奥部屋に所属していた主な力士・協会員の移籍先内訳は以下の通りです。

【音羽山部屋への移籍】
・力士:大関・霧島、神崎、霧乃華など
・親方:立田山親方(元幕内・薩洲洋)、9代陸奥親方(再雇用・参与として移籍)
・床山:床鶴

【荒汐部屋への移籍】
・力士:若手力士数名
・親方:浦風親方(元幕内・敷島)
・呼出:慎

【時津風部屋・伊勢ノ海部屋などへの移籍】
・行司、呼出などの一部裏方協会員が一門内の各部屋へ移籍

長年苦楽を共にした仲間が別々の稽古場へと分かれる形にはなりましたが、それぞれの新天地で現在も変わらぬ精進を続けています。

【名門の魂】師匠・元大関霧島の歩みと9代陸奥親方の現在

陸奥部屋の歴史を語る上で欠かせないのが、師匠として部屋を牽引し続けた9代陸奥親方(元大関・霧島一博)の存在です。

鹿児島県出身の元大関・霧島は、細身でありながら驚異的な筋力トレーニングによって作り上げられた筋肉質の肉体から「和製ヘラクレス」の異名を取り、昭和末期から平成初期の土俵を大いに沸かせました。31歳という遅咲きで大関へ昇進し、通算勝利数754勝を挙げた不屈の闘志は、指導者となってからも脈々と弟子たちに受け継がれました。

1997年に陸奥部屋を継承して以降、師匠としてモンゴル出身の霧馬山(現在の大関・霧島)を見いだし、関取、そして大関へと育て上げました。さらに鶴竜の陸奥部屋への転属を受け入れ、横綱昇進を支えるなど、育成面でも確かな実績を残しました。

定年を迎えた9代陸奥親方は現在、日本相撲協会の再雇用制度(参与)を活用し、音羽山部屋に所属しています。第一線の師匠という立場からは退いたものの、音羽山部屋のアドバイザー的存在として、大関・霧島をはじめとする若手力士の稽古を温かく見守る日々を送っています。

【真相究明】なぜ部屋は継承されず解散したのか?再興の可能性を検証

なぜ伝統ある陸奥部屋は、後継者を立てて存続することができなかったのでしょうか。そこには角界特有の名跡事情と、独立のタイミングが複雑に絡み合っていました。

最大の要因と見られているのは、有力な後継者候補であった元横綱・鶴竜が、陸奥親方の定年より前の2023年12月に「音羽山部屋」を興して独立していたことです。鶴竜がそのまま陸奥部屋の看板を継承する選択肢も取り沙汰されていましたが、自身の年寄名跡「音羽山」での独立準備が整っていたため、陸奥部屋の看板を引き継ぐ形にはなりませんでした。

また、看板力士である大関・霧島は現役バリバリのトップ力士であり、現時点で部屋を継ぐことは不可能です。部屋付きであった浦風親方や立田山親方も、それぞれの立場や部屋運営のビジョンから名跡継承による部屋存続を選択しなかった結果、「解散」という結論に至りました。

では、将来的に陸奥部屋が再興される可能性はあるのでしょうか。

可能性は大いに存在します。名跡である「陸奥」は由緒ある年寄株であり、現在は9代陸奥親方が参与として保持していますが、将来的に引退する力士(例えば現大関・霧島などが現役引退後に名跡を取得・襲名する場合など)が、将来的に独立して「新生・陸奥部屋」を再興するシナリオは十分に考えられます。伝統の名が再び本場所の土俵に響く日を、多くのファンが待ち望んでいます。

【現場レポート】両国の旧陸奥部屋・跡地の現状とファンの記憶

東京都墨田区緑に位置していた陸奥部屋の旧建物。JR両国駅からもほど近く、下町の風情が残る閑静な住宅街の一角にありました。

部屋が閉鎖された後、かつて激しい稽古の音が響き渡り、力士たちがちゃんこ鍋を囲んでいた建物からは看板が下ろされ、静かな佇まいを見せています。本場所中には多くのファンや観光客が足を止め、力士たちの出入りを見守った活気ある光景は過去のものとなりました。

近隣住民からは「朝早くから響くぶつかり稽古の音が聞こえなくなり、寂しくなった」「霧島関や鶴竜親方が街で見かけられる機会が減り、一つの時代が終わった実感が湧く」といった声が聞かれます。建物そのものの将来的な活用方針や売却・解体については今後の動向が注視されていますが、この地で数々の名力士が汗を流した記憶は、地域の人々の心に深く刻まれています。

【陸奥部屋】に関するよくある質問(FAQ)

Q1:陸奥部屋が閉鎖されたのは具体的にいつですか?
A1:日本相撲協会の承認を経て、2024年4月2日付で正式に閉鎖・解散となりました。師匠であった9代陸奥親方が翌4月3日に65歳の定年を迎えたことに伴う措置です。

Q2:大関・霧島関の現在の所属部屋と師匠は誰ですか?
A2:大関・霧島関は、元横綱・鶴竜が師匠を務める音羽山部屋へ移籍しました。現在も音羽山部屋の看板力士として土俵に上がっています。

Q3:陸奥部屋が今後復活・再興される可能性はありますか?
A3:可能性は十分にあります。「陸奥」の年寄名跡は将来的に資格を持つ力士へ継承される見込みであり、大関・霧島をはじめとする後進の力士が現役引退後に名跡を襲名して独立した場合、陸奥部屋が再興される道が開かれています。

まとめ:名門の系譜を受け継ぎ次代へと進む相撲界

師匠の定年という節目を迎え、惜しまれつつもその歴史に一度ピリオドを打った陸奥部屋。しかし、元大関・霧島が築き上げた不屈の精神と相撲道は、音羽山部屋をはじめとする移籍先の稽古場で確実に息づいています。

大関・霧島が新たな師匠である元横綱・鶴竜のもとでさらなる高みを目指す姿や、各部屋へ散った若手力士たちの奮闘は、かつての陸奥部屋の魂が決して消えていないことの証明です。伝統の名跡「陸奥」が再び土俵上で輝く未来に期待を寄せつつ、力士たちの新たな挑戦を温かく見守っていきましょう。 (出典: 陸奥 部屋(Yahoo!ニュース)

陸奥 部屋
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