井筒部屋の閉鎖理由は?鶴竜の独立と名跡の行方・現在の真相
大相撲の歴史を語る上で欠かせない名門・井筒部屋。昭和から平成、令和へと受け継がれてきた伝統ある名門でしたが、突如として訪れた師匠の別れと部屋の閉鎖は、角界に大きな衝撃を与えました。「井筒三兄弟」の華々しい活躍から第71代横綱・鶴竜の育成まで、数々の金字塔を打ち立てた名門の看板がなぜ下ろされることになったのか、多くの相撲ファンがその真相に関心を寄せています。
14代井筒親方(元関脇・逆鉾)の急逝に伴う力士たちの移籍劇、元横綱・鶴竜による音羽山部屋の旗揚げ、そして名跡「井筒」の行方と部屋再興の可能性まで、激動のドラマを詳細に検証します。
📌 【この記事の重要ポイントまとめ】
- 要点1:2019年9月に14代井筒親方(元関脇・逆鉾)が急逝し、部屋付き親方が不在だったため名門・井筒部屋は閉鎖を余儀なくされた。
- 要点2:所属していた横綱・鶴竜らは同門の陸奥部屋へ移籍し、後に鶴竜は年寄「音羽山」を襲名して音羽山部屋を新設独立した。
- 要点3:墨田区東駒形にあった旧井筒部屋の跡地は住宅地へと変貌したものの、井筒の伝統と技術は弟子たちによって今も脈々と息づいている。
名門・井筒部屋はなぜ閉鎖されたのか?14代井筒親方の急逝と苦渋の決断
井筒部屋が閉鎖に追い込まれた最大の要因は、2019年9月16日に14代井筒親方(元関脇・逆鉾、本名・福薗好昭さん)が58歳の若さで急逝したことにあります。当時、14代井筒親方はすい臓がんを患い闘病を続けていましたが、秋場所の途中に病状が急変し、帰らぬ人となりました。
日本相撲協会の規定では、相撲部屋を存続させるためには師匠となる年寄(親方)が不可欠です。しかし、当時の井筒部屋には後継者となる部屋付きの親方が在籍していませんでした。部屋頭であった横綱・鶴竜は現役力士であり、その場ですぐに現役を引退して部屋を継承することは現実的ではありませんでした。
日本相撲協会の規程上、師匠不在の部屋は存続できないため、2019年9月下旬の理事会において、井筒部屋の力士・床山・呼び出しらは同じ時津風一門に所属する陸奥部屋への転属が承認されました。これにより、江戸時代から幾度かの変遷を経て続いてきた名門・井筒部屋は、惜しまれつつも一時その歴史に幕を下ろすこととなったのです。
横綱・鶴竜らの陸奥部屋移籍劇|一門の結束と受け皿となった師匠の絆
井筒部屋の閉鎖に伴い、大きな注目を集めたのが所属力士たちの移籍先でした。受け皿となったのは、同じ時津風一門で14代井筒親方と現役時代から親交の深かった陸奥親方(元大関・霧島)が率いる陸奥部屋でした。
当時現役バリバリの横綱だった鶴竜をはじめ、幕下以下の力士3名、床山、呼び出しを含む全員が無条件で陸奥部屋へと迎え入れられました。突然の師匠の死という大きな悲劇に見舞われた弟子たちに対し、陸奥親方は温かく手を差し伸べ、稽古環境と生活の基盤を即座に整えました。
鶴竜は移籍後も横綱としての責任を果たし、2020年3月場所では陸奥部屋所属として幕内最高優勝を飾るなど意地を見せました。2021年3月に鶴竜が現役を引退した際にも、陸奥親方の全面的なバックアップのもとで年寄「鶴竜」を襲名し、陸奥部屋付きの親方として後進の指導にあたることになりました。
鶴竜が「音羽山部屋」を創設して独立|師匠の教えを受け継ぐ新たな挑戦
陸奥部屋で指導者としての経験を積んだ元横綱・鶴竜は、次なる大きなステップへと踏み出します。2023年12月、年寄名跡「音羽山」を取得・襲名し、師匠として音羽山部屋を新設独立しました。
この独立に際しては、陸奥部屋から大相撲界を牽引する実力派力士や裏方スタッフが音羽山部屋へと移籍しました。さらに、2024年4月に師匠である陸奥親方が停年(定年)を迎えたことで陸奥部屋が閉鎖された際には、大関・霧島をはじめとする所属力士や関係者が音羽山部屋や時津風一門の各部屋へと合流しました。
鶴竜は現役時代から「相撲の基本と礼儀を重んじる」姿勢を貫いており、その根底には14代井筒親方から徹底的に叩き込まれた相撲美学があります。形こそ「音羽山部屋」という新たな看板を掲げていますが、土俵上で展開される緻密な技術指導には、まぎれもなく名門・井筒部屋の血筋が受け継がれています。
大相撲史に輝く「井筒三兄弟」の伝説|鶴ヶ嶺から逆鉾・寺尾へ紡がれた美学
井筒部屋を語る上で絶対に外せないのが、昭和から平成にかけて相撲界を熱狂させた「井筒三兄弟」の存在です。先々代にあたる13代井筒親方(元関脇・鶴ヶ嶺)の息子である3兄弟が全員関取になるという、角界史上でも極めて稀な快挙を成し遂げました。
- 長男・鶴嶺山:十両まで昇進し、堅実な取り口で土俵を支えた。
- 次男・逆鉾(14代井筒):鋭いもろ差しと気迫あふれる相撲で関脇として長く活躍。後に部屋を継承し、横綱・鶴竜を育て上げた。
- 三男・寺尾(元関脇・錣山親方):端正な顔立ちと回転の速い強烈な突っ張りで社会現象的な人気を博し、引退後は錣山部屋を創設。
13代井筒親方が磨き上げた「もろ差し」の技術は、井筒部屋の伝統的なお家芸として知られました。体格に恵まれない小兵であっても、相手の懐へ鋭く飛び込んで主導権を握る相撲道は、逆鉾や寺尾へ、そして外国人横綱として技術相撲を極めた鶴竜へと見事に伝承されていきました。
名跡「井筒」の継承と部屋再興の可能性|伝統の看板はいつ復活するのか
井筒部屋が閉鎖された後、相撲ファンの間で常に議論の的となってきたのが「名跡・井筒の継承」と「井筒部屋の再興」です。由緒ある名跡である「井筒」は、相撲史において数々の名横綱や名大関を輩出してきた伝統の象徴です。
14代井筒親方の急逝以降、遺族や関係者の間で名跡の管理が行われ、一時は元関脇・豊ノ島が借株として井筒を襲名(後に退職)したほか、複数の力士・親方が関わってきました。近年では幕内経験者の志摩ノ海が名跡を取得・襲名するなど、年寄名跡としての井筒は大切に守られ続けています。
「将来的に井筒部屋が再興される日は来るのか」という点については、日本相撲協会の年寄株事情や部屋新設の条件が絡むため予断を許しません。しかし、時津風一門の系譜を継ぐ親方が名跡を正式に継承し、十分な弟子と施設を整えれば、名門の看板が再び土俵に掲げられる可能性は残されています。
墨田区東駒形・旧井筒部屋の跡地は現在どうなっているのか?
東京都墨田区東駒形にあった旧井筒部屋の建物は、かつて多くのファンや地元住民に親しまれた下町のシンボルでした。本所吾妻橋駅からもほど近い場所に位置し、本場所前になると力士たちの激しい稽古の音が響き渡っていた場所です。
部屋の閉鎖後、歴史ある旧井筒部屋の建物は惜しまれながらも解体・売却され、跡地は住宅やマンションへと再開発が進みました。かつて力士たちが汗を流した土俵や看板のあった風景は姿を消し、現在の敷地周辺は静かな住宅街の装いとなっています。
建物という物理的な形は失われたものの、東駒形の地域住民や古くからの相撲ファンの記憶には、逆鉾や鶴竜が闊歩した名門部屋の面影が今も色濃く残されています。
【井筒部屋】に関するよくある質問(FAQ)
Q1:井筒部屋はなぜ閉鎖になってしまったのですか?
A1:2019年9月に師匠である14代井筒親方(元関脇・逆鉾)が58歳で急逝した際、部屋を即座に引き継げる後継の親方がいなかったためです。日本相撲協会の規定に基づき、横綱・鶴竜をはじめとする所属力士らは時津風一門の陸奥部屋へ移籍し、部屋は閉鎖されました。
Q2:元横綱・鶴竜は現在どの部屋に所属していますか?
A2:鶴竜は陸奥部屋付きの親方を経て、2023年12月に年寄名跡「音羽山」を襲名し、師匠として独立して「音羽山部屋」を創設しました。現在は自身の部屋で師匠として後進の育成に励んでいます。
Q3:井筒部屋が復活・再興する可能性はありますか?
A3:可能性は十分にあります。名跡「井筒」を正式に保有・継承した親方が、日本相撲協会の定める部屋新設の基準(実績や施設要件など)を満たせば、伝統ある「井筒部屋」の看板が再び復活することは制度上可能です。
まとめ:受け継がれる名門の魂と大相撲の未来
14代井筒親方の急逝という予期せぬ悲劇から始まった名門・井筒部屋のドラマ。部屋の閉鎖という苦渋の決断を経て、力士たちは陸奥部屋への移籍を経験し、鶴竜による音羽山部屋の創設という新たな展開へと結実しました。
東駒形の旧部屋跡地が街の風景に溶け込んでも、鶴ヶ嶺から逆鉾、寺尾、そして鶴竜へと受け継がれてきた技術と土俵哲学は決して消え去ることはありません。音羽山部屋の躍進とともに、いつの日か再び「井筒」の名が本場所の土俵に響き渡る日が訪れるのか、角界の未来から目が離せません。 (出典: 井筒 部屋(Yahoo!ニュース))