今いくよくるよの師匠は誰?島田洋之介・今喜多代と紳助ら兄弟弟子の絆
「どやさ!」の決め台詞と抜群のテンポ感で、昭和・平成・令和の演芸界を駆け抜けた伝説の女性漫才コンビ、今いくよ・くるよ。2015年に今いくよさん、2024年に今くるよさんが惜しまれつつこの世を去った後も、上方漫才の歴史に刻まれたふたりの功績は色褪せるどころか、その輝きを増しています。
派手な衣装と体を張ったギャグ、それでいて圧倒的な品格を保ち続けたふたりの芸風は、一体どのようにして形作られたのでしょうか。その原点には、昭和の上方演芸界に君臨した名夫婦漫才師「島田洋之介・今喜多代」の存在と、島田紳助をはじめとする錚々たる兄弟弟子たちと切磋琢磨した濃厚な修行時代がありました。
📌 【この記事の重要ポイントまとめ】
- 要点1:今いくよ・くるよの師匠は、昭和を代表する夫婦漫才の巨頭「島田洋之介・今喜多代」であり、喜多代から「今」の屋号を授かった直弟子である。
- 要点2:門下には長弟子の島田一の介や島田紳助などの実力派が揃い、吉本興業屈指の強固な師弟・兄弟弟子の絆で結ばれていた。
- 要点3:高校のソフトボール部出身から始まった異色の経歴と師匠の教えが、日本の女流漫才師の歴史を大きく塗り替える金字塔となった。
【真相】今いくよ・くるよの師匠は誰?伝説の夫婦漫才「島田洋之介・今喜多代」
今いくよ・くるよの師匠は、1950年代から1980年代にかけて吉本興業の看板として劇場を沸かせた夫婦漫才師の島田洋之介・今喜多代(しまだ ようのすけ・いま きたよ)です。
洋之介の柔らかなボケと包容力、そして喜多代の鋭くリズミカルな突っ込みとしゃべくりは「上方夫婦漫才の完成形」と称され、上方お笑い大賞をはじめ数々の栄冠に輝きました。この師匠コンビの特徴は、弟子に男性が入門すると洋之介から「島田」の屋号を、女性が入門すると喜多代から「今」の屋号を授けるという慣例にありました。そのため、いくよ・くるよのふたりは今喜多代の直系として「今」の芸名を名乗ることになったのです。
師匠である島田洋之介・今喜多代の舞台は、どれほど激しく罵り合っても根底に深い夫婦愛と人間味があふれていました。その温かみと客席を一瞬で味方につける話術こそが、後のいくよ・くるよの漫才の骨格となりました。
高校ソフト部から吉本へ|OLと実業団を捨てた「弟子入り経緯」の真実
ふたりの出会いは、京都明徳高等学校(現・明徳高等学校)時代にさかのぼります。今いくよ・くるよの若い頃は、お笑いとは無縁の本格的な体育会系でした。ソフトボール部に所属し、いくよさんがピッチャー、くるよさんがキャッチャーとしてバッテリーを組んで国体準優勝を果たすほどの猛者だったのです。
卒業後、いくよさんは大手電機メーカーのOLとして勤務し、くるよさんは実業団の強豪・日本電装(現・デンソー)で実力派キャッチャーとして活躍していました。しかし、一度きりの人生でお笑いの道へ進みたいという情熱を抑えきれず、くるよさんがいくよさんを熱心に誘い、1970年(昭和45年)に島田洋之介・今喜多代の門を叩くことになります。
当時の吉本興業における師弟関係は完全な徒弟制度であり、女性の弟子入りは極めて異例でした。当初は周囲から「女の子に漫才師が務まるわけがない」と反対の声もありましたが、ふたりの熱意と礼儀正しさに打たれた喜多代師匠が弟子入りを快諾。厳しい下積み修行の日々が幕を開けました。
島田洋之介門下の弟子一覧|島田紳助・島田一の介ら豪華な兄弟弟子たち
島田洋之介・今喜多代が育て上げた島田洋之介門下は、現在のお笑い界・演芸界を支えるトップスターを多数輩出した名門一門です。その弟子一覧を見ると、錚々たる顔ぶれが並びます。
一門の筆頭弟子(長弟子)として吉本新喜劇の重鎮となった島田一の介、のちに漫才ブームの中心となりバラエティ界の頂点に君臨した島田紳助、そして女流漫才の頂点を極めた今いくよ・くるよ。さらに、島田おさむ(後の平和ラッパ・日佐丸の日佐丸)や島田源二らも同門として修行に励みました。
入門時期で見ると、今いくよ・くるよは島田紳助の「姉弟子」にあたります。紳助さんは若手の頃からふたりに対して頭が上がらず、バラエティ番組でも「いくよ姉さん、くるよ姉さんには昔から飯を食わせてもらい、一番世話になった」と公言して憚りませんでした。また、兄弟子である島田一の介とも生涯にわたって家族同然の深い絆で結ばれており、劇場や楽屋裏では互いを支え合う温かな関係が続いていました。
「舞台では華やかに」今喜多代から受け継いだ魂と愛の弟子エピソード
喜多代師匠は、弟子に対して非常に厳しくも、実の母親以上の愛情を注ぐ人物でした。特に女性漫才師としての心構えについては、徹底したプロ意識を叩き込みました。
「女が舞台に立って笑いを取るのは本当に大変なこと。だからこそ、舞台の上では誰よりも綺麗にして、華やかにしていなさい」「普段の生活でどれだけ苦しくても、身なりを崩してはいけない」という言葉は、いくよ・くるよが生涯守り続けた鉄則です。いくよさんのトレードマークとなった濃いつけまつげや派手なメイク、くるよさんのド派手なドレススタイルは、すべて喜多代師匠の教えが具現化したものでした。
修行時代、お金がなくて困っていたふたりに喜多代師匠がそっとお小遣いを握らせたり、舞台でウケずに落ち込むふたりを自宅に呼んで手料理を振る舞ったりと、人間味あふれるエピソードには事欠きません。厳格な指導の裏にあった師匠の深い慈愛が、ふたりの芸人としての誇りを育て上げたのです。
女流漫才師の歴史を変えた軌跡|「どやさ!」誕生と伝説の名言
師匠のもとで鍛え上げられたふたりは、1980年代の「THE MANZAI」をきっかけとする全国的な漫才ブームの中で一気に全国区へと躍り出ます。当時の女流漫才師の歴史において、女性コンビは男性漫才師の引き立て役や色物として扱われることが少なくありませんでした。しかし、いくよ・くるよは自らの体型差を逆手に取ったテンポの良いしゃべくり漫才で、その偏見を完全に打ち破りました。
「細い子(いくよ)、太い子(くるよ)」「胃下垂」「お腹ポンポン」といったビジュアルを活かした掛け合い、そして何よりくるよさんの代名詞となった名言「どやさ!」は日本中のお茶の間を席巻。1984年には「上方漫才大賞」を受賞するなど、名実ともにトップランナーへと登り詰めました。
「女やからって甘えたらあかん。舞台に立ったら男も女も関係ない、プロの芸人なんや」というふたりの名言は、現代の女性芸人たちにも受け継がれる普遍的なプロフェッショナリズムの象徴となっています。
【今いくよ・くるよの師匠】に関するよくある質問(FAQ)
Q1:今いくよ・くるよの師匠は誰ですか?
A1:昭和の上方演芸界を代表する夫婦漫才師の「島田洋之介・今喜多代(しまだ ようのすけ・いま きたよ)」です。ふたりは今喜多代の弟子として「今」の屋号を受け継ぎました。
Q2:島田紳助さんとの関係はどういう間柄ですか?
A2:同じ島田洋之介・今喜多代門下の「兄弟弟子」です。入門順では今いくよ・くるよの方が先だったため、島田紳助さんにとっては直系の姉弟子にあたり、生涯を通じて深く敬愛し合う関係でした。
Q3:なぜ女性なのに島田ではなく「今」の苗字なのですか?
A3:島田洋之介・今喜多代一門のルールとして、男性の弟子には洋之介から「島田」、女性の弟子には喜多代から「今」の芸名(屋号)を与える慣例があったためです。
まとめ:昭和から受け継がれる「島田洋之介・今喜多代門下」の遺産
今いくよ・くるよが残した偉大な足跡は、単なる人気漫才師の枠にとどまりません。それは、師匠である島田洋之介・今喜多代から受け継いだ「舞台人としての品格」と「観客への底知れぬ愛」、そして島田一の介や島田紳助ら兄弟弟子とともに磨き上げた「話術の粋」の集大成でした。
厳しい徒弟制度の中で培われた本物の芸と絆は、世代や時代を超えて今なお多くの後輩芸人たちに影響を与え続けています。天国へと旅立ったふたりが師匠夫妻と再会し、笑顔で「どやさ!」と語り合っている光景が目に浮かぶようです。 (出典: いくよ くる よ 師匠(Yahoo!ニュース))