和同開珎の読み方はどっち?富本銭との違いや流通の謎・買取相場を解説

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和同開珎の読み方はどっち?富本銭との違いや流通の謎・買取相場を解説
和同開珎の読み方はどっち?富本銭との違いや流通の謎・買取相場を解説
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🎵 和同開珎の読み方はどっち?富本銭との違いや流通の謎・買取相場を解説

日本史の教科書で誰もが一度は目にする古代の貨幣「和同開珎」。長年「日本最古の流通貨幣」として親しまれてきましたが、近年の発掘調査や研究の進展によって、その位置づけや歴史的評価は大きな転換点を迎えています。

「かいちん」と「かいほう」のどちらで読むべきなのかという議論をはじめ、1999年の「富本銭」発見がもたらした教科書記述の変更、さらには「なぜ発行されたのに庶民の間で流通しなかったのか」という古代経済のリアルまで、知的好奇心を刺激する謎が少なくありません。本記事では、発掘現場の知見や最新の歴史学説、さらには現代の古銭市場における本物の価値・見分け方まで、和同開珎の全貌を徹底的に掘り下げます。

📌 【この記事の重要ポイントまとめ】
  • 要点1:読み方は慣用読みの「かいちん」と、唐の貨幣を踏襲した学術寄りの「かいほう」の双方が通用しており、教科書でも併記が進む。
  • 要点2:1999年の富本銭発見により「最古」の定義が再編され、国家が公的に全国流通を目指した貨幣として和同開珎が再定義された。
  • 要点3:平城京造営の財政対策で誕生するも、信用貨幣の概念不足と「蓄銭叙位令」による死蔵が原因で一般社会には定着しなかった。

【読み方の論争】「かいちん」と「かいほう」はどっちが正しい?歴史的背景から決着

和同開珎の名称をめぐり、長年にわたって熱い議論が交わされてきたのが「わどうかいちん」か「わどうかいほう」かという読み方の問題です。

結論から言えば、現代の学術界・教育現場では「どちらも間違いではないが、意味合いから見ると『かいほう』が有力視され、慣用としては『かいちん』が定着している」というのが実情です。

銭銘の4文字目にあたる「珎」という漢字の解釈が、この論争の核心にあります。

「かいほう(開宝)」を支持する説では、「珎」は「寶(宝)」の異体字や略字であると解釈します。和同開珎のモデルとなった唐の貨幣「開元通宝(かいげんつうほう)」をはじめ、東アジアの貨幣には「通宝」「元宝」「重宝」といった「宝」の文字を入れる慣例(銭銘の四字連読)がありました。右回りに「和同開宝」と読むのが当時の東アジアの標準的なルールに合致します。

一方の「かいちん(開珎)」説は、「珍(めずらしい・重宝する)」の略字として「珎」をとらえ、上から時計回りではなく上下左右の順で読む「和同開珎(天地開珍)」とする見解や、平安時代以降の文献に「カイチン」と読まれていた痕跡があることを根拠としています。

現在の文部科学省検定済教科書では、「わどうかいちん」を見出しにしつつ「わどうかいほうとも読む」とルビや脚注で併記する形が主流です。テスト等でも両方の読み方が正解として扱われるケースが一般的になっています。

【日本最古の貨幣の真相】富本銭の発見で何が変わった?教科書の記述変更と最新説

昭和から平成初期にかけて教育を受けた世代にとって、「日本最古の貨幣=和同開珎」という知識は絶対的な常識でした。しかし、その常識は1999年の奈良県明日香村・飛鳥池遺跡の発掘調査によって覆されることになります。

同遺跡から、天武天皇期(683年頃)に鋳造されたとみられる「富本銭(ふほんせん)」がまとまって出土したのです。この年代は、和同開珎が発行された708年よりも20年以上前へと遡ります。

この大発見以降、古代貨幣をめぐる教科書の記述は劇的な変化を遂げました。

貨幣の種類推定鋳造時期主な出土・歴史的役割
無文銀銭7世紀前半〜半ば文字のない銀の円形小片。主に貴族間の贈答や価値貯蔵に使われた。
富本銭683年(天武期)頃呪術的用途説もあったが、現在では国家主導の初期貨幣(最古)とみなされる。
和同開珎708年(元明期)律令国家として「全国へ公的に流通させる目的で大規模発行された貨幣」

最新の歴史研究におけるコンセンサスとしては、「日本最古の金属貨幣」の座は富本銭(あるいは無文銀銭)に譲ったものの、「国家の法制度に基づき、全国的な流通を企図して体系的に発行された貨幣」としては依然として和同開珎が日本最初であるという評価に落ち着いています。

【なぜ作られたのか】708年・元明天皇の国家戦略と秩父の「和同開珎」誕生秘話

和同開珎が誕生した背景には、当時の日本の国際情勢と、遷都という国家最大の巨大プロジェクトが密接に関わっていました。

慶雲5年(708年)正月、武蔵国秩父郡(現在の埼玉県秩父市黒谷)から、精錬を必要としない極めて純度の高い自然銅(熟銅)が朝廷へ献上されました。これを国家の慶事と捉えた第43代元明天皇は、元号を「和銅」へと改元。同年5月に銀銭、8月に銅銭の鋳造・発行に踏み切ります。

朝廷がこれほど迅速に貨幣発行へ動いた理由は、主に3つ存在します。

第一に、710年に控えていた「平城京遷都」の建設費用と人件費の調達です。巨大な都を造営するには膨大な労働力と物資が必要ですが、従来のように米や布(現物)で支払うと運搬コストや保管のロスが膨大になります。軽量な金属貨幣で支払うことができれば、国家財政を劇的に効率化できました。

第二に、「律令国家としての対外的な威信」です。当時の超大国・唐は整備された貨幣経済と法律(律令)を持つ文明国家でした。日本も唐と対等に渡り合う独立国家であることを示すため、国家公式の貨幣発行は避けて通れない国家戦略だったのです。

なお、銅が採掘された秩父の地には現在も「和銅遺跡」が残り、近くの「聖神社」は銭神様として多くの参拝者が訪れる金運の名所となっています。

【流通しなかった驚きの理由】銀銭・銅銭の格差と「蓄銭叙位令」が招いた経済の大混乱

国家の威信をかけて発行された和同開珎ですが、現実の経済政策としては大失敗に近い結末をたどりました。都から離れた地方ではほとんど使われず、経済活動の現場に定着しなかったのです。

流通しなかった最大の理由は、「当時の人々に信用貨幣の価値が理解できなかったこと」にあります。数千年にわたり米や布、塩などの実物貨幣で暮らしてきた民衆にとって、「文字が彫られただけの小さな銅の板」に米1斗(約6キロ)もの価値があると言われても信用できませんでした。

さらに発行当初、朝廷は銀銭(1文)=銅銭(4文)という極端な交換比率を設定しました。しかし銀そのものの地金価値が高すぎたため、人々は銀銭ばかりを欲しがり、銅銭を受け取り拒否する事態が発生します。結果として銀銭は私鋳(偽造)が横行し、発行からわずか1年余りの709年8月に銀銭は廃止へ追い込まれました。

銅銭を使わせようと焦った朝廷は、711年に「蓄銭叙位令(ちくせんじょいれい)」を発布します。これは「一定額以上の銭を貯蓄した者に官位(位階)を与える」というインセンティブ制度でした。例えば10貫(1万文)以上貯めれば位を授けるという内容です。

しかし、この政策は完全に裏目に出ました。官位が欲しい貴族や豪族はお金を使わずに屋敷の倉へ溜め込み、貨幣の「死蔵(タンス預金化)」が一気に加速。市場を巡るはずのお金が消滅し、流通をさらに滞らせるという皮肉な結果を招いたのです。

【皇朝十二銭の終焉】貨幣価値の暴落と米・絹への回帰が物語る古代経済の現実

和同開珎の発行後も、朝廷は財政難に陥るたびに新たな貨幣を鋳造し続けました。708年から958年にかけて発行された12種類の銅銭を総称して「皇朝十二銭(こうちょうじゅうにせん)」と呼びます。

順号貨幣名発行年発行時の天皇
1和同開珎(わどうかいちん)708年元明天皇
2万年通宝(まんねんつうほう)760年淳仁天皇
3神功開宝(じんこうかいほう)765年称徳天皇
4隆平永宝(りゅうへいえいほう)796年桓武天皇
5富寿神宝(ふじゅしんぽう)818年嵯峨天皇
6承和昌宝(じょうわしょうほう)835年仁明天皇
7長年大宝(ちょうねんたいほう)848年仁明天皇
8益神通宝(えきしんつうほう)859年清和天皇
9貞観大宝(じょうがんだいほう)870年清和天皇
10寛平大宝(かんぴょうたいほう)890年宇多天皇
11延喜通宝(えんぎつうほう)907年醍醐天皇
12乾元大宝(けんげんたいほう)958年村上天皇

皇朝十二銭の歴史は通貨インフレと信用の崩壊の歴史でもありました。

新銭を出すたびに、朝廷は「新銭1枚=旧銭10枚」という理不尽なデノミネーションを強行。さらに、銅の産出量低下に伴って銭のサイズはどんどん小さくなり、鉛や錫の含有率が増えて品質は著しく悪化していきました。

958年の「乾元大宝」に至っては、鉛の塊のような粗悪品となり、文字の判読すら困難なレベルまで落ち込みます。国民の信用を完全に失った結果、乾元大宝を最後に公鋳銭の歴史は途絶。日本はその後、鎌倉時代に中国から「宋銭」が大量輸入されるまで、約600年間も国家による独自通貨を発行しない「米・絹による物々交換の時代」へと逆戻りすることになったのです。

【本物の見分け方と買取相場】古銭市場の価値と精巧なレプリカを見極めるポイント

日本貨幣史の記念碑的シンボルである和同開珎は、古銭収集市場でも極めて希少価値の高いコレクターズアイテムです。市場では大きく「古和同(こわどう)」「新和同(しんわどう)」に分類されます。

古和同は708年の発行初期に作られたもので、手作業による丁寧な仕上げと肉厚な造りが特徴です。新和同は720年以降に量産体制で作られた薄型のもので、市場に出回る本物の大半はこちらに属します。

種類特徴市場買取相場(目安)
和同開珎(銀銭)わずか1年で廃止。現存数が極少の国宝級。300万円 〜 1,000万円超
古和同(銅銭)初期鋳造。文字の彫りが深く、肉厚で重厚。50万円 〜 200万円前後
新和同(銅銭)量産型。やや薄く、文字の線が細い。3万円 〜 30万円前後

注意しなければならないのは、世の中に出回っている和同開珎の99%以上が観光土産や教材用のレプリカ、あるいは後世に作られた贋作(偽物)であるという点です。

プロの鑑定士が本物と見分ける主なポイントは以下の通りです。

  • 文字のキレと書風:本物は鋳造後に鏨(たがね)で文字の輪郭が整えられており、独特のシャープさがある。レプリカは文字の角が丸くぼやけている。
  • 側面のやすり目:本物は外周に職人が削った平行な「やすり目」が残るが、偽物は型から外しただけの継ぎ目(バリ)が目立つ。
  • サビの定着具合:1300年の年月を経た緑青(ろくしょう)は金属深くまで浸透している。薬品で後付けされた人工サビは粉っぽく簡単に剥がれ落ちる。
  • 重量と金属組成:本物の新和同銅銭の重さは約2.5〜3.5g程度。レプリカは軽すぎたり、鉛が多く含まれて重すぎたりする。

蔵や実家の遺品から見つかった場合でも、素人判断でサビを落とそうと磨いてしまうと歴史的価値が暴落します。鑑定に出す際はそのままの状態で日本貨幣商協同組合(JNDA)加盟店などの専門業者へ持ち込むことが鉄則です。

【和同開珎】に関するよくある質問(FAQ)

Q1:和同開珎1枚で、当時どれくらいの物が買えたのですか?
A1:発行当初の公定レートでは、和同開珎1文(銅銭1枚)で米約1斗(約6kg〜10kg前後)が買える設定でした。現在のお金に換算するとおよそ数千円〜1万円相当の非常に高い購買力を持たせていました。しかし、物価設定が高額すぎて日常の少額決済には不向きだったことも、庶民へ流通しなかった一因です。

Q2:教科書のテストで「かいちん」と書いたら減点されますか?
A2:減点されることはありません。全国の主要な歴史教科書では「わどうかいちん」が見出し語として採用されており、正式な正解として扱われます。入試や定期テストでも「かいちん」「かいほう」のいずれを記述しても正解となります。

Q3:埼玉県秩父市の聖神社や和銅遺跡は観光で見学できますか?
A3:自由に見学可能です。秩父鉄道「和銅黒谷駅」から徒歩圏内にあり、露天掘りの跡地である「和銅遺跡」には巨大な和同開珎のモニュメントが設置されています。隣接する聖神社には元明天皇から下賜された自然銅が社宝として祀られており、「宝くじが当たる神社」として多くの観光客で賑わっています。

まとめ:古代国家の野心と貨幣が語りかける歴史のリアル

和同開珎は、単なる「古いお金」にとどまらず、日本が律令国家として東アジアの舞台に名乗りを上げようとした強い意志の結晶でした。

富本銭の発見によって「日本最古」の絶対的な座は移り変わったものの、平城京遷都という巨大事業を支え、国家の威信をかけて全国統一流通を試みた歴史的意義が色あせることはありません。「かいちん」と「かいほう」の論争や、蓄銭叙位令による経済の混乱など、1300年前の国家建設の試行錯誤は、現代の私たちが学ぶべき多くの示唆に富んでいます。 (出典: 和 同 開 珎(Yahoo!ニュース)

和 同 開 珎
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